のら猫クロッチと目があったその日から【長嶺ヤス子さん】
2016年4月20日

のら猫クロッチは、日本人フラメンコダンサーの草分け長嶺ヤス子さんと出会ってしまいました。『立っているだけでフラメンコ』とスペイン人に言わしめる女傑です。
「馬鹿正直さを極めたようなその生き方」は、多くの人に勇気と生きる力を与えつづけています。御年80歳。背筋がピーンと伸びた現役の舞踏家です。
舞台の上、さらにはプライベートの姉御の魅力をお伝えしてまいります。
猪苗代の長嶺さん宅の玄関で挨拶しました。
「私の舞台を見た人は、翌日からスポーツを始める方が多いそうよ。でも続かないの」
これから、犬と散歩です。
「ねえクロッチ、私は私が一番大切なの。
人は私に指導者になればいいというんだけれど、私は私のために時間をつかいたいのね。
だから踊り続けられるの。これは私の生き方だからしょうがないの」


たくさんのお話をうかがいました。
約2時間の散歩を終えて、すっかり日は暮れました。



「チケットを買ってもらうことが、わたしを応援してくれることなの。
クロッチもわたしのチケットを売ってくれる?」

たった1日の公演のために、本場スペインを代表する凄いダンサーが『YASUKOのためなら』と来日します。
そして、1000枚近いチケットの大半は、長嶺ヤス子さんご自身の手でファンに届けられていくのです。


「私の舞台って最高でしょ。すっごくお金がかかるの。いつも大赤字よ」

客席はいつも満席。
でも、それ以上に予算をかけてしまうために毎回、数百万円の大赤字になってしまうそうです。

長嶺ヤス子さんは「絵」を描いて、販売して、その穴を埋めています。

(つづく)


ラッキーワイド x のら猫クロッチ展  11月に開催します
2016年4月18日

【ラッキーワイド x のら猫クロッチ展 ★ 開催まで、あと200日】
世界的造形作家集団 ラッキーワイドとキャラクター界の異端児「のら猫クロッチ」とのコラボレーションが実現しました。


のら猫クロッチが誕生してはや9年。義理人情にあつく江戸っ子かたぎのクロッチは、都会のとある住宅街のかたすみで、毎日を一生懸命、生きています。そして、「よのため ひとのため のらのため」を合い言葉に、いろいろな方々に助けられ、さまざまな活動をしてまいりました。ラッキーワイドのアーティストたちの作品展示とあわせて、世の中へクロッチを導いてくださっている、兄さん姉さんたちとの活動を紹介してまいります。
アーティストたちが、木、石、金属、FRP、樹脂、カーボンファイバーなど、さまざまな素材から生み出した「のら猫クロッチ」作品の数々。絵画、お面、立体像、ねぷた、時計、アクションフィギュア、プロジェクションマッピング、オブジェ、など、多彩に変貌をとげる「のら猫クロッチ」の新たな世界をご期待ください。
(by クロッチ倶楽部)

山田さんによるクロッチのお面(クロッチメン)
2016年4月7日

【クロッチ面(クロッチメン)】

クロッチの、カーボンのお面が出来上がりました。世界で一枚だけです。



【クロッチ面づくり】

年末、年始にかけて、ラッキーワイド×のら猫クロッチ展ミーティングを行いました。年末は会場のストライプハウスギャラリーで、年始はラッキーワイドさんで行いました。山田技術主任がさらに進行して頂いており、今回はクロッチのお面の試作品を仕上げて頂いてました。お面とは思えぬ精巧な作りです。



型を作って、塩化ビニールで形を出しておられました。


そこから着色するのですが、何枚も、また、型を作って塗る?ガンで吹く?かして、色を重ねておられました。それも短時間で。




【クロッチの素材バリエーションの研究】



【試作品】

【透明クロッチ】

【石クロッチ】


試作がまた、増えてきました。切削機を使ってメープルを削り、仕上げてコーティングすると、見る角度に
よって色が変わります。表面がフラットなのでクロッチに彫刻としてのアート性をつけるのは難しいと言ってましたが、素材の特性だけで意味付けし、そこから、また、違う意味がアイデアとして泉のように発想がわくのには、経験値が桁外れです。

【木彫クロッチ】

(編集:S.HATANAKA , IAN)

池袋保健所さんと「よのため ひとのため のらのため」
2016年4月7日

「人と猫とが共に幸せに暮らせる街づくり」をめざしている豊島区池袋保健所の地域猫活動を多くの人に知ってもらうために、のら猫クロッチも協力することになったんだ。


2種類のクリアファイルをつくって、「地域猫」「同行避難」をアピールしたよ。

◉お問い合わせ:
豊島区役所 池袋保健所生活衛生課 保健所
住所:〒170-0013 東京都豊島区東池袋1丁目20−9
電話:03-3987-4175





豊島区池袋保健所さんとつくったクリアファイル(非売品)です。

(表面)はなくそほじくるクロッチ
「地域猫 住み良い街の バロメーター」

(裏面)地域猫に愛を。
地域猫=地域ぐるみでお世話をしているのら猫のこと。「不妊去勢手術・トイレの設置・清掃・エサやり」で、人も猫も快適なまちに。 




(表面)立ち上がるクロッチ
「猫の手を 貸す日のために 鍛えるぜ!」

(裏面)もしものときは同行避難
大切なのは日頃からの備えです。ペットの防災用品と、緊急時でもいい子でいられるようなしつけ。そして避難もいっしょに。 


3月19日〜21日と豊島区池袋保健所(東京都豊島区東池袋1丁目20−9)で開催されるイベント「池袋保健所 健康フェスタ」で配布するクリアファイルです。地域猫活動をされている「東京キャッツアイ」のブースでクイズに答えるともらえるんだよ。

「東京キャッツアイ」さんの活動をみんなで応援しよう!
ご来場お待ちしております!

◉NPO法人東京キャッツアイ
http://ameblo.jp/tokyo-catseye/



(編集:IAN)
のら猫クロッチと目があって1 ★ 吉澤広寿さん
2016年4月5日

【のら猫クロッチと目があって ★ 同行二人】

第一回  吉澤広寿さん 

株式会社ラッキーワイド 代表取締役/彫刻家


クロッチ 「おいら、3次元になっちゃった!」
吉澤社長 「クロッチ、いっしょに歴史を創ろうな!」
 世界的造形作家集団ラッキーワイドを率いる吉澤さんと、オイラ、クロッチとの出会いは東日本大震災が起きた2011年にさかのぼる。それまでは紙面の中でうごめいていたイラストのオイラが、雑誌「孫の力」の連載企画を機に、吉澤さんのところで、リアルな体を創っていただき、新たな命を吹き込まれて3次元の世界に飛び出した。これまでに、ラッキーワイドで作成していただいたオイラのフィギュア(立体)は、すでに5体にもなるんだ。
 そして、吉澤さんは今年11月、企画展「ラッキーワイド× のら猫クロッチ展」(六本木のストライプハウスギャラリー)の開催を決断した。

■十数人の造形作家による大プロジェクト
  
 「『わたしの一生の宝物ができた!』、展覧会を見にきた人たちが、こう言ってくれる作品を作る義務が、わたしたちにはあるんです!」
 「その『一生の宝物』を、まわりの人たち、これからつながっていく全ての人たちに渡し続けていきたいのです」と語る吉澤さん。今回の企画展は、ラッキーワイドの十数人もの造形作家たちが、オイラの作品造りにかかわるという大プロジェクトだ。そんな中、今、オイラの存在が作家たちそれぞれの中で、一人歩きをはじめているらしい。
「これはね、クロッチの作品を造るひとりひとりの社員の中で、クロッチの歴史を創っているということなんです。この先どのように展開していくかはわからない。でも、だからこそ思いもかけないような夢ができてくる。それが最高なんです。」と吉澤さんは力をこめる。「本当の意味で歩き始めたいから」。吉澤さんは「ラッキーワイド × のら猫クロッチ展」を開催するという。
 
■人に夢を与える仕事への誇り
 「『人に夢を与える仕事をしている』という誇りを、スタッフみんなが持っている。だからこそ、わたしたちの作品は見た人に共感してもらえるのだと思う」。そう語る吉澤さんは、常日ごろから「善権」ということを、とりわけ大切にしている。
 「心の奥底に仏の心を持ち、人に感謝する気持ちを持つこと」に努めているのだ。困難や想定外の事態に遭遇しても、「ありがとうございます」と唱えれば、瞬時に心は落ちつき、迷いはなくなるという。
 
■生死の境をさまよった体験への感謝
 
 これまでの人生、吉澤さんは数えきれないくらい「のら体験」をし、修羅場をくぐり抜けてきた。トラブルや事故への対応、経営、資金繰りに加えての実務の実行、そんな激務が何年も続いて、ある時、クモ膜下出血に倒れてしまった。しかし、生死の境をさまよったその体験に、今はとても感謝しているという。この体験を通して、今は「静的な緊張感」を持って生きることができるようになったからだ。今、トラブルや思わぬアクシデントを防ぐ、気配りや気持ちの張りを持つことの大切さを、実感しているのだ。
 これまで、生きていて最高だったことは、「鍛錬をし続けてこれたこと」だという。今も毎日、鍛錬をし続ける生活を送ることができているから、吉澤さんは現在進行形で日々、最高なことに出会っている。一年間365日、おちこんだり、めげたりして、終わる日は1日もない。駅伝のたすきのように、必ずベストを尽くして次の日につなげるのである。
■世界の道標を創造し、歴史を創っている
 さて、幼い頃から猫、犬、ウサギ、鶏などのたくさんの動物たちに囲まれて育った吉澤さん、かわいがっていた猫が亡くなった時、中学3年生から高校1年生にかけて、その猫の木彫を作りあげた。吉澤さんと彫刻との出会いだ。そして、オイラ、のら猫クロッチ。猫にはとことん縁があるらしい。自らも彫刻家である吉澤さんは「わたしの最大の武器は『ものごと』を創造している会社の事業主であることだ」と語る。
 「わたしたちは今まさに世界の道標を創造し、歴史を創っている」。吉澤さんの仕事への姿勢と人生観は、ラッキーワイドの若いスタッフたちにも確実に受け継がれているようだ。
 「わたしたちの仕事を通して、立場も状況も違う全ての人たちが、夢を持てるようになってほしい」
 こんなすばらしいビジョンを持つ吉澤さんとラッキーワイドの作家のみなさんに、この世に生み出してもらえるオイラは本当に幸せ者だ。ひとりでも多くの人たちに作品を見にきてほしいなと思う。
 
■自分を動物に例えるなら
 ところで、若いころはやたらと元気が良かったいう吉澤さん! 相撲、空手を極め、「クレイジーブルドッグ」というリングネームでプロレス同好会で活動をしていたというから驚いた。
 最後に「自分を動物にたとえるなら?」 と尋ねたら、意外にも「羊」。との答えが返ってきた。 だけど、その後、「あえていうと」と続けた吉澤さんは、「凶暴な羊です」。と微笑んだんだ。


KROCCHI No.1 作品名「家もなく 身寄りもないが 明日がある」

(編集:KIMIKO TSUTSUI)

■吉澤広寿(よしざわひろひさ)
 日本とフランスの代表的彫刻家に師事をし、その後、株式会社ラッキーワイドを設立。完成度と芸術性の高い仕事で、世界中から依頼が殺到している。
ラッキーワイドの造形作家たち1 ★ 山田親広さん
2016年4月5日


クロッチ作品を創る造形作家を紹介するこのコーナー、トップバッターは「ラッキーワイド × のら猫クロッチ展」の芸術監督を務める、山田親広さん!


山田親広(やまだちかひろ)さん。この道25年の大ベテラン。職人としての高度な技術と飽くなきチャレンジ精神を兼ね備えた山田親広さん。展覧会に向けて、子どもから大人までが楽しめるクロッチのお面と、それぞれ素材の異なる5体のクロッチ立体像を制作する。

 
■方法を試し、素材に挑戦する
 「最初、何もない状態からはじめて、フルハンドメイドで完成させる」造形の仕事は、工業製品と真逆の世界だという。「革命的なことでなくていい。日々のちょっとした前進でいいんですよね。それは後々、大きな変化につながるんです」。
 造形物を制作するうえで、いろいろな方法を試すのが大好きだという山田さんは、やり方だけではなくさまざまな素材にも挑戦してきた。だから当然、失敗もする。「でもね、失敗すらからたくさん学べるんですよ」とうれしそうだ。
■山田さんの作品のみどころは?
 職人の高度な技術と、造形作家として新しいことへの飽くなきチャレンジ精神を兼ね備えた山田さん。「クロッチの作品では、造形屋ならではの多種多様な造りを見て欲しい」と語気を強めた。特にこだわるのは、キャラクターとしての「クロッチらしさ」と素材とのマッチングバランスだという。
 「オイラの睨んでいる目が魅力」と語る山田さんは、「美術品」として素材が一目でわかるようなものを創るつもりだ。プラスチックに留まらず、木、石、箔、クリアーレジン、エポキシ樹脂を使用する。
 実は、すでにさまざまな素材の「クロッチのお面」が完成している。作品で苦労した点を尋ねると、「アナログの手作業と、デジタルなCAD 両方で制作しているため、業務のスケジュール調整が難しかった」との、意外な答えが帰ってきたんだ。でも、とりわけ苦労したのは、カーボンファイバーのお面。最初は、
表面が星の数ほどの気泡だらけになってしまったらしい。
 素材の扱いはもちろんのこと、造形物の制作にはいくつもの工程をふまねばならない。まず原型を造り、それを型取りした後に、成形の作業をし、仕上げになる。そして最後に「調整」をして完成となる、とのこと。この制作過程は、今後、オイラのblog やfacebookで公開していくけれど、11月の展覧会場でも制作過程の動画を上映することになっているよ。
 幼いころから、外では遊ばずに家の中で絵を描いたり粘土をいじってばかりいたという山田さん、さまざまな職種を経験した後に、立体看板(店舗の入り口にディスプレイしてある怪獣などのこと)の仕事を手がけたことが、「立体をやっていこう!」と決心する大きな転機となった。その会社では、山田さんは、入社したての若年にもかかわらず、高い技術力と豊富な経験をかわれて、いきなり30メートルもある恐竜の滑り台の現場監督をまかされたという。その後に、スチロールで立体を作っている会社を捜していて就職したのがラッキーワイドだ。
■全ては「伝え方」から始まる
 山田さんにとって仕事とは、「世の中と共存し生きること」。ラッキーワイドには、30人以上もの幅広い年代のスタッフがいる。常に、限られた時間と予算の中で高い完成度を求められる状況下では、たったひとつの小さな伝達ミスが、取り返しのつかない失敗につながる、という苦い体験を何度もしてきた山田さん。注文主に納品にいったけれど、「イメージと違う」といわれ、そのまま作品を工場に運び帰り、徹夜で直したことも数えきれないそう……。無事に納品するまでは家には帰れないんだ。大変だね。
 「全ては『伝え方』から始まり、『伝え方』次第で相手の行動が変わる」。大勢のスタッフに指示をするポジションの山田さん。「近頃の若い人たちは計画性があり協調性もある。だから集団行動に対して強い。 年前はもっと作家のような人が多かった」とふり返る。そんな山田さん自身は、たくさんの「無謀なこと」をしてきた。四半世紀にわたって「造形」と格闘してきた作家であり、この業界の厳しさを知りつくした職人の山田さん、後輩たちをやさしく見守る先輩の顔ものぞかせてもらった。
■自分を動物に例えたら?
 最後に、自分を動物に例えるなら? という質問をしてみた。すると、「フクロウかミミズク!」とスタッフたちが口をそろえたんだって。
 今は、お面の制作は終了し、素材のそれぞれ異なるオイラの立体像にとりかかっている。この仕事をしていなかったら、料理人になっていたという山田さん、一筋縄ではいかない素材をどのように調理してくれるんだろう…… 本当に楽しみだよ!

(編集:KIMIKO TSUTSUI)

■山田親広(やまだちかひろ)
 造形作家。株式会社ラッキーワイドの管理職、技術主任として30名以上の若手造形作家たちをまとめている。