のら猫クロッチと目があって9 ★ 千賀ゆう子さん
2017年9月5日

第9回 千賀ゆう子さん

女優・演出家

その時代の雰囲気とか圧力、そういうものを敏感に感じないと役者とはいえないと思うし、それを表現できるところが役者のおもしろみだと思う

オイラとの出会いから半年たらずで「のら猫クロッチ物語」を、六本木のストライプギャラリー、新宿区多文化共生プラザ、富山県高岡市で上演してくれた千賀さん。役者であり演出家でもある千賀さんは、早稲田小劇場に10年間在籍した後、国内外で実験的な舞台活動を勢力的に続けている。世界各地の演劇祭に招かれ、曾根崎心中からギリシャ悲劇まで数々の企画公演を行ってきた。千賀さん、いったいどうして「のら猫クロッチ物語」を演じようと思ったの?

 

 

動物が好き、ひとりが好きな文学少女
「わたしは猫のまねが上手なの。ニャァオゥ」と千賀さん。いやいや上手なんてもんじゃない、舞台では、声も目つきも爪の先までノラ猫そのものだ。
子どものころは、むしろを持って登った木の上で昼寝をするほどのオテンバだった千賀さんは、高校では飼育部で、ノスリ、ウサギ、伝書バト、熱帯魚などの世話をしながらひとり寝転がって本を読むことが至上の楽しみだった。

学生運動と演劇活動、早稲田小劇場、そして「千賀ゆう子企画」へ
当時、演劇がさかんだった早稲田大学に入学した千賀さん、自由舞台(後に早稲田小劇場の母体となる)と演劇研究会(通称 劇研)の二大学生演劇集団から、政治活動に敏感で硬派にみえた劇研を選んだ。黒ずくめの服を身につけた劇団員の中で、ひとり白いワンピースを着ていた千賀さん、お父様に大反対されて家出を決行し、半年間、水商売をしながら友だちの家に半分居候。はじめてののら体験だった。
大学3年生で主役を演じるが、新左翼の作品だった事もあって、むしろ自己批判をせざるを得なくなり学生運動を再開。しかし政治活動にもそのセクト性と色々と裏側をみたりして、自己の甘さを思い知って、断念した。そして、卒業後に観た「AとBとひとりの女」で小野碩(ひろし)という役者に感動した千賀さんは、すぐに自由舞台(早稲田小劇場)に入団したのだ。早稲田小劇場では10年間活動したが、「鈴木忠志を頂点とした権力的な構造の劇団にはいたくない!」と退団を決意。その後、「自分がプロデュースし、自分がやりたいことをやりたい」と「千賀ゆう子企画」を立ち上げた。劇団組織を作るつもりはなかった。基本はひとりでそのつど共にやりたい人を集める。だから劇団に比べると自由度が高い。自由を愛するからこそ相手の自由も尊重する。結果、千賀さんのまわりにはたくさんの人が集まるようになった。

役者であること 演出家であること
古事記、平家物語、近松、坂口安吾、ギリシャ悲劇、現代詩……。時空を越えたさまざまな世界を演じ、演出してきた千賀さん。
「その時代の雰囲気とか圧力、そういうものを敏感に感じないと役者とはいえないと思うし、それを表現できるところが役者のおもしろみだと思う」
「自分と人との距離感があるから役者をやっていける」
「わたしには演出のほうが、俯瞰することが向いているの。役者は自分のからだを使い、演出家は人のからだを使い、空間を、音楽を、世界を使い、そして言葉を扱う」
興味があることに関しては貪欲だったので、義太夫、日本舞踊、お花、お茶、狂言、謡、三味線、そして舞踏の世界にも興味をもった。そんなにいろいろ?と驚くオイラに、千賀さんはニヤッとして「結果オーライ!だからね。無駄にはならないの」

独立不和で自由。でも、他者がいることがクロッチの魅力
「やさしいとはそうことでしょう? わたしは、「他者」を認知しなければやさしくはなれないと思っています。クロッチのやさしさはそういうものだと思う。自分が弱っている時に助けを受け入れる潔さ、クロッチって最高に格好いいですよ、わたし大好きだもん。のら猫は大変だろうけれど、自分の運命を人のせいにしない。わたしはいつも勇気をもらっています」
「それから、ちょっととがった目つきが大好きですね。クロッチのように生きられたら最高に素敵です。死ぬ時には『ああ、オレはよくやった。よく闘った』と思える人生でありたい。世間には不条理なこと、ひどいことがいっぱいある。そういうものと戦う意志がある。それに、はずかしがりで、照れ屋だし、そこがかわいい。わたし自身もちょっと照れ屋なので気持ちはわかる」千賀さんの言葉にオイラも照れっぱなし、だった。

自分を動物に例えるなら

「猫ほどかっこよくないからなあ……。わたし、どこか人恋しいところがあるから猫にはなれない。きつねかたぬきかな。でも大きめの鳥、鷲とかノスリなんかいいなあ。独立心が強くて、でも人なつこい。鳥は大変だけど自由でいられる。自由がなによりですよ」

クロッチ、生き抜いてね!

「もっといろんな人に出会って、人の心の中に生き抜いてほしい。生きてなきゃなんにもならないし……。でも人の心の中に生きるということもあるからね」
「人の心の一番深いところに届く出会いというのはなかなかないから」
そう語る千賀さんとの出会いはオイラにも運命的だ。
千賀さん、オイラと一緒に旅がしたいそうだ。
「新潟、仙台でやりたい。関西でもやりたいなあ。それから、金沢、山形も……」
ガッテンだいっ。千賀さん、オイラどこにだっていっしょにいくよ!

 


■千賀ゆう子(せんがゆうこ)
役者。演出家。早稲田小劇場に10年在籍。1982年より「千賀ゆう子企画」を主催。古典の語りから前衛演劇まで幅広く舞台活動を国内外に展開している。国際演劇祭に招聘され、アジアからヨーロッパまで世界各地で公演を重ねてきた。国内各地でも「語り」「芝居」の企画公演を勢力的に上演。かたわらで「語り」のワークショップも開催している。

◉千賀ゆう子企画公式サイト http://senga-unit.sakura.ne.jp

(ダウンロードできます)

 


 

 

 

 

「のら猫クロッチ物語」上演光景

 


 

— 千賀さんのライフワーク 坂口安吾 —

坂口安吾に魅せられて
「安吾の魅力をひと言でいえば、『人間とはなにか?』という本質的な問いを、削ぐかたちではなく、膨らましていくかたちで提示してくれること。机上の文学ではないです。少年の思いを一生、持っている人。そして、暖かい人です。『人間が嫌いだ』とは言っているけれど、人間に対する視線がとても暖かい。孤独が深いからこそ人が大事。すごく孤独で、その孤独の深さとみあう『他者』を大事にする。大人です」。
千賀さんが小学生ではじめて読んだ「桜の森の満開の下」、2週間で書き上げた大学の卒論が「坂口安吾 私論」、そして「千賀ゆう子企画」を立ち上げた時にやってみたいと思ったのも安吾だったのだ。岸田理生氏が自ら申し出て書き下ろした脚本、笠井賢一氏の演出によるひとり芝居「桜の森の満開の下」は、
ストライプギャラリーでの初演から、今日まで幾度も演じているライフワークである。

■語り「桜の森の満開の下」
9月16日(土)2:00PM  7:00PM
9月17日(日)2:00PM
第11回有隣館演劇祭 蔵芝居`17
開催期日:2017年9月16日(土)〜10月22日(日)
会場:桐生市有隣館 群馬県桐生市本町2丁目 6-32

【お問い合わせ】
桐生市有隣館  TEL/FAX 0277-46-4144

 

 

 


 

【千賀ゆう子さんの今後の舞台活動】
■千賀ゆう子企画公演「S」シリーズ
千賀ゆう子ソロ「春夏秋冬」
会場:ストライプハウスギャラリー
日時:2017年10月13日(金)14日(土)15日(日)
ご予約お問い合わせ:ストライプハウスギャラリー
TEL: 03-3405-8108

のら猫クロッチと目があって8 ★ マリエレーヌさん
2017年7月13日

第8回 マリエレーヌ・ポワンソさん
画家、写真家、そして料理研究家

「人や動物などの動くものこそ、写真より絵のほうが対象に忠実なのだ」とマリエレーヌさんは考えている

「『絵』も『日本』もわたしの心と魂の一部分。生きていくうえでは必要不可欠の存在なのです」。
こう語るマリエレーヌさんは、料理研究家としても活躍している。近年、「みんなが笑顔になるフランスの定番おやつ グテ」(自由国民社)、「マリエレーヌのアイスクリームとシャーベット」(文化出版局)という2冊の本を出版した。
「料理は幼いころからの趣味で、他人も自分も幸せにできる最も簡単な方法だと信じています」と微笑む。マリエレーヌさんにとって、料理とは友だちのために作るものなんだそう。「3.11後、日本の方々を自分なりに支えたくて料理ブログを始め、気がつけば料理研究家になっていました」。本には、美しくておいしそうなスイーツの写真とレシピが満載だ。
驚くのは、これらのレシピ考案、フードスタイリング、写真撮影全てをマリエレーヌさんが自分ひとりで担当していること。文章も彼女自身が日本語で書いたのだから凄い!そう、彼女はその卓越した語学力を活かして通訳や翻訳の仕事もしている。「きちんとした免許を取ることを祖母と約束し、パリの東洋文化言語研究所で日本語と日本文化を専攻し卒業した。写真家としては、風景や料理の撮影が多いそう。

 

 

人生を変えた「雪舟の水墨画
「いつか日本へ行く!」と直感したのは小学2年生の夏、「バイクで世界一周」という本で、東京の地下鉄について書かれた文を読んだ時のこと。「著者の日本への偏見に腹がたったことをハッキリと覚えています。日記帳に数ページも書いたほど怒っていました」と語る。その時は来日したことがないのに、不思議だよね。その2年後、絵を気に入られ薦められて通っていた画家のアトリエで、日本美術史の本をめくったマリエレーヌさんは、ある絵に魂を奪われた。雪舟の水墨画だ。見るやいなや魅入られてしまい「いつか必ず本物の雪舟を見に日本に行かねばならない」。と運命を感じた。「あの時、人生が一瞬にして変わってしまったの。年月は流れ、今は年に2度、3度と来日し、京都を拠点に毎年3ヶ月ほどを日本で過ごすようになった。

 

 

競艇(ボートレース)に魅せられて
もともと海辺の生まれ育ちで、歩けるようになる前にボートに乗っていた。ボート(船全般)やボートレースが大好きだというが、「息をするのさえ忘れるほど感動できるのは競艇(ボートレース)だけです。「最初、ギャンブルであることを知らなかったことが幸いでした。偏見を持たずに自然に感動できましたから。そして選手を心から尊敬できたのです。
マリエレーヌさんは、競艇選手たちとの交流も深く、来日のたびに競艇場に通って、選手たちの肖像やボートの絵を描いてきた。
「水上の武術と形容されるほどボートレースは奥が深いスポーツであり、最初のころは、男性だけでなく、女性も子どもを養うために選手になり、それで助けられた家庭が少なからずあったことを忘れないでいただきたいです。日本人が日本人のためだけに考えたスポーツで、最初の内はある種の不況対策でもあった競艇はもちろん時代とともに変わり、今の「ボートレース」になったので、これからはどうなるのかすごく気になります。とにかく、描き続けられれば人間としても画家としても本望です」「わたしの愛するボートレースは、日本の方々が想像するものとはかなり違うといえますが、奥深さも人間味もあり、「ギャンブル」とは関係のない、その純粋な感動と敬愛の気持ちをわかちあえればと思うのです」

 

 

日本のことをフランスに伝えたい

「東南フランスという土地で、「女性でありながら『日本語を勉強する』『絵描きになる』という二大禁忌を犯したわたしは、親戚たちに受け入れてもらえず、疎遠になったことが一番こたえました。でもみんなに理解してもらえるようにと時間をかけて日本の良さを伝えていこうと努めています。基本的には自分の勘を信じ、地道に頑張ることがベストなのだと固く信じています。
「偉そうに聞こえるかもしれませんが、フランスで日本を語ることができて、日本でフランスを語ることができることを光栄に思い、これからも両文化間の橋渡しになれるように頑張っています」

自分を動物に例えるなら
「理想は猫かなあ、狐もすごく好きですけれど、日本ではイメージがあまりよくありませんよね。それに「葛の葉」があまりにかわいそうで‥‥
うん、あれは悲しい話だね。
「クロッチの目つきの悪さに一目惚れしました。みなさんに聞いていただきたいメッセージに深く心をうたれたのです」。
マリエレーヌさん、ありがとう! オイラのこと、すでにフランスに紹介してくれている。
「クロッチ、ごちそう作るからうちにおいで!
「もちろん、喜んで!」


 

マリエレーヌ・ポワンソ
フランス、ニースに生まれ育つ。画家、写真家、翻訳家、通訳、料理研究家などの顔を持つ多才な芸術家。著書「みんなが笑顔になるフランスの定番おやつ グテ(自由国民社)「マリエレーヌのアイスクリームとシャーベット」(文化出版局)HATTORIキュイジーヌクラブ LUNA LAPINにて南フランス料理、フランス菓子講座を開催。

公式サイト「マリエレーヌの世界」
http://www.lemondedemariehelene.wordpress.com

Facebook
https://www.facebook.com/gouterdefranceaujapon


(ダウンロードできます)

のら猫クロッチ《縁起》 in 足利 はじまるよ!
2017年7月13日

のら猫クロッチ《縁起》。
日本橋につづき、栃木県足利で新たな物語をつくります。

かつて東京の新宿下落合にあった"カフェ杏奴"はクロッチくんの初めての棲家。やさしい杏奴ママさんは、4年前にふるさと足利の地に拠点を移しました。古都足利は、のら猫も棲みやすい、歴史と文化、そしてなにより雰囲気のある街です。
カフェ杏奴に集まる、愉快な仲間たちとストーリーづくりを始めていきます。
どうぞお楽しみに。

◉下落合のカフェ杏奴にて
大好きな「Café杏奴」、みんなと写真撮影してきました! (2013.2.13)
http://blog.excite.co.jp/krocchi/18675486/

のら猫クロッチ。地元、目白・下落合、池袋でデビューを飾る! (2009.11.24)
http://krocchi.exblog.jp/13238330/

 

 

 

 

 

のら猫クロッチと目があって7 ★ 和田タカ子さん
2017年3月9日

【のら猫クロッチと目があって7 ★ 同行二人】

第7回 和田タカ子さん 

特定非営利活動法人 オペラ彩 理事長
クロッチといっしょに「泣いた赤鬼」を伝えていきたい。
「オペラは難しいものではない」とクロッチに伝えてほしい。

今年の5月で発足34年目を迎える特定非営利活動法人 オペラ彩(発足当時:朝霞オペラ振興会)。埼玉県和光市を拠点に、30年以上にわたって質の高いオペラを上演し続けている、理事長にしてプロデューサー、そして自らもソプラノ歌手である和田タカ子さん。これまでにオイラは、和田さんが主催する出前オペラ「泣いた赤鬼」の導入部分で何度か登場させてもらったんだ。

 

 

オペラを地元で上演し地元でファンを作る。

最初の公演は200人収容のホールだった。34年後の今日、1100人以上を収容できる市民文化センター大ホールはほぼ満席になる。発足当初の公演はピアノの演奏だけでオーケストラがはいらなかった。今ではプロ中のプロのオーケストラ、バレエ、合唱など全ての要素がはいったグランドオペラを上演している。
「オペラ」という言葉がまだ一般化していなかった1980年代。オペラが「なにか特別なもの」と見なされていた当時、自分たちの研鑽の場、発表の場を持ちたいという熱い志の声楽家7人が集まって「オペラ彩」を設立した。

「生身ですから、生の舞台ですからね、それはいろいろ起こりますよ」
オペラ制作のかたわら、自らもソプラノ歌手として舞台に立っていた和田さん。体調不良の歌い手に最後の通し稽古で歌うことを禁じたことがあった。「本番で歌えないことが一番よくないですから」。自分がインフルエンザでオケあわせに出ることができず、最終リハーサルではじめて歌えたという辛い体験があったからこその英断だ。「かなりハードです。でも、どんなことがあっても歌い手を守ります」。きっぱり言いきる和田さんに、修羅場をくぐり抜けてきた名プロデューサーの顔を見た。
和田さんはスケジュール調整、広報、すべてを行なう。衣装、音響、照明、みなプロが担当しているが、それぞれの要となるのがプロデューサーの役割だ。指揮者を選ぶことからはじまり「『決めること』はわたしが決めています」。上演する演目は、「こんなふうに作りたい!」「これならいい作品ができる!」というイメージが固まった時に決まるという。上演する作品の国に行くことも多い。昨年は「ラ・ボエーム」の舞台、パリに出かけたそうだ。

一度は音楽の勉強を断念。しかし再び、音楽家の道を志す。
家庭の事情で音大進学を断念せざるを得なかった和田さんは、高校卒業後に上京し大手出版社の秘書として勤務していた。その時、遠縁にあたる、山田耕筰などの初演を数多く手がけたテノール歌手に、「あなたはすぐに歌とピアノをやりなさい」と激励され、仕事のかたわら音楽の勉強を再開。仕事と音楽の勉強の両立は難しかったが、ピアノ、声楽などひととおりの勉強をすべて個人レッスンで学んだ。
秘書時代、幸いなことに、和田さんは「泣いた赤鬼」の作者、浜田廣介氏をはじめ、文化人、実業家たちに接し、音楽、バレエ、演劇など一流の芸術に接することができた。この時、本当に自分がやりたいことは何かを考えるようになり「音楽の道に戻ろう!」と決意したという。「この体験がなかったら、今の自分はありません」と微笑む。

 

 

 

◉オペラ彩 公式サイト
http://opera-sai.jp

出前オペラ「泣いた赤鬼」を見て欲しい。外国でも上演していきたい。
26年間続けている出前オペラ「泣いた赤鬼」の上演はすでに70回を越える。初演直後から「移動公演をぜひやってほしい」という声が殺到し、請われるままに全国各地で上演してきた。昨年は、関東甲信越の幼稚園の先生がた2400人が観劇後に感動の涙を流した。「舞台で演じる側と観客がこれほど一体化できる作品は少ないです」と和田さん。
今後も定期公演でグランドオペラの上演を続けて、オペラで世界につながっていきたいという。そして、「泣いた赤鬼」は子どもたちだけでなく親御さんにも見てほしいという。日本全国で、そして外国でも上演していきたいそうだ。「『泣いた赤鬼』は日本の大切な文化であり心でもありますから。これを知ってもらったら日本はもっと理解されると思います」。

 

 

 

 

 

オペラの魅力をぜひ知って欲しい!
和田さんは最初、オペラを面白いとは思わなかった。ところが、たまたま誘われて見に行った「ラ・ボエーム」に感激し、オペラの虜になってしまったんだって。「いい作品に出会うこと、本当にそれしかないです。いい作品とは素直に感動できるものです」とオペラをまだ見たことのない人へのメッセージをもらった。

自分を動物に例えるなら
「犬ですね。散歩している犬がニコニコと寄ってくるの」なぜ犬かというと「だれに対してもかまえないし気にしないしね。わたしは1人で生きているイメージではないし」だそうだ。
「クロッチって気にしないでどこにでもいけるでしょう。それは素晴らしいことなの!だれとでも友達になれるしね、それって簡単そうで簡単ではないんですよね」。 「クロッチ、元気で頑張ってね。新しいことを切り開いていくことはとても大切。動いてないと元気とは言えないわよ!」和田さん、ガッテンだいっ!

 

 

 

 

◉山形県新庄市での公演レポート
http://krocchi.exblog.jp/24208446/

 


 

■和田タカ子(わだたかこ)
特定非営利活動法人オペラ彩 理事長。プロデューサー。ソプラノ歌手。定期公演オペラで幾度も音楽賞を受賞。平成3年から続けている出前オペラ「泣いた赤鬼」は、全国の幼稚園、小中学校、音楽鑑賞会等での上演は70回を越える。平成28年度下總皖一音楽賞を受賞。

 


(ダウンロード)

 


 

月一回、和田さんが開催しているオペラ勧進「歌と芸術よもやま話」は2016年11月で100回目。そこで和田さんの話を聞いた人が、後にオペラを見にくるそうだ。「本物のオペラに触れてほしい」と3年前に中学校の音楽室を借りてはじめた稽古場見学会には「NPOがこういうかたちでオペラを広めていることは凄い!」とNHKが取材にきてくれた。

 


 

平成28年度 下總皖一音楽賞を受賞された和田さんは、受賞にあたってこんな言葉を送ってくれたよ。
(「オペラ勧進」№104の参加者へ配られた文章です)

◉下總皖一音楽賞
http://www.pref.saitama.lg.jp/a0305/ongakusyou/index.html

【今月の一言 下總皖一音楽賞受賞にあたって 2017年2月17日】
2月14日、埼玉県知事公館に於いて、平成28年度の下總皖一音楽賞の贈呈式が行われました。
スピーチを求められ、ふと口をついて出たのが、私の社会参加のきっかけとなった長男の一言でした。
県の西部を流れる当時の黒目川は、大量のゴミが浮いている、人の近寄らない川でした。
…川が汚れているね…だれがよごしたの…う~ん、みんなが少しずつ、ゴミを捨てている間にこうなってしまったのよね…
…ぼくはおとなになってもかわをよごさないよ…目に一杯涙をためた長男がまっすぐ私を見つめていました。
東京志向だった私には衝撃的な一言でした。ここは子供にとっての故郷なんだ。黒目川は大勢の皆さまの努力できれいな川によみがえり、アユの生息する川として知られるようになりました。
私は現在、オペラの制作者として日々を送っています。大勢の人々の思いが結実して、感動的な作品が
仕上がっていきます。これも一人ではできないこと。授賞式が40年前の遠い日を思い起こさせてくれました。

特定非営利活動法人オペラ彩理事長 和田タカ子

のら猫クロッチと目があって同行二人 1〜6号
2017年2月12日

第6回 田柳優子さん
認定NPO法人 ACE「ピース・インドプロジェクト」担当
http://krocchi.exblog.jp/26605690/

今日、世界の子どもの9人にひとり、1億6800万人が児童労働をしている、といわれる。ACE (Action against Child Exploitation)(意味:子どもの搾取に反対する行動)は、インドとガーナで危険な労働をしている子どもたちを守りながら、日本で、児童労働の問題を伝える啓発活動や解決のための活動をしているNGOだ。今年2月に、ACEが運営するインドの職業訓練センターで学ぶ女の子たちに、オイラの服を作ってくれるよう計らってくれた田柳優子さん。8月には、完成した50着の服をインドから持ち帰ってくれた。

 


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第五回 高野之夫さん
豊島区長
http://krocchi.exblog.jp/26086114/

ねぐらにほど近い豊島区池袋。これまでにオイラは、豊島区制施行80周年「みんなでつくるセーフコミュニティとしま」や、地域猫のイベントに、ちょいちょい参加させてもらってきた。都心のど真ん中なのに、野良猫にもどこか居心地がいいこの街は、近年、大きな変貌を遂げている。豊島区長の高野之夫さんとはこれまでにも何度か顔をあわせたけれど、ゆっくりお話をするのは今日がはじめて!


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第四回  高田絵美さん
公益財団法人オイスカ/子供の森計画 担当課長
http://krocchi.exblog.jp/25624536/

「国を越えて協力しあいながら地球環境を良くしていこう」と世界中で活動を展開しているオイスカ・インターナショナル(以降「オイスカ」と省略)は、今年で創立55年目、日本では最も古い国際協力NGOのひとつだ。「子供の森」計画は、子どもたちをターゲットとしたオイスカのプロジェクトである。「『人と自然環境』『人と自然のつながり』を学びながら、『木を植える』行為を通して地域や地球に貢献していく」。こんな子どもたちのアクションを応援して、はや四半世紀、今日、世界36か国で展開している。この国際的プロジェクトを統括しているのが高田絵美さんだ。


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第三回  大西和子さん
株式会社PJC 代表取締役/デザイナー
http://krocchi.exblog.jp/25417355/

エンプロイダリーレースの老舗メゾン、PJC KAZUKO ONISHIのオーナーデザイナー大西和子(おおにしかずこ)さんと出会ったのは今から7年前。ねぐらからはほんのひとっ走り、オイラが迷い込んだ「都会の草っ原」はPJCのアトリエだった。それからというもの、大西さんは野良猫クロッチをPJCのオリジナルエンブレースの草むらで遊ばせてくれている。

 


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第二回  辰巳渚さん × 鈴木万由香さん
NOLA(「日本のふつうの暮らし協会」創立メンバー)
http://krocchi.exblog.jp/25265021/

辰巳渚さん(写真左)と鈴木万由香(写真右)さん、浅草の町おこしイベントでご縁ができた。姐さんたちの「江戸っ子の心意気」にすっかり惚れ込んじまったオイラ、文筆家の渚さんとクロッチ川柳がコラボした「辻占」を作り始めている。ナレーターの万由香さんとは「クロッチ物語」の朗読劇シリーズを作成中だ。

 


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第一回  吉澤広寿さん
株式会社ラッキーワイド 代表取締役/彫刻家
http://krocchi.exblog.jp/25107578/

 世界的造形作家集団ラッキーワイドを率いる吉澤さんと、オイラ、クロッチとの出会いは東日本大震災が起きた2011年にさかのぼる。それまでは紙面の中でうごめいていたイラストのオイラが、雑誌「孫の力」の連載企画を機に、吉澤さんのところで、リアルな体を創っていただき、新たな命を吹き込まれて3次元の世界に飛び出した。これまでに、ラッキーワイドで作成していただいたオイラのフィギュア(立体)は、すでに5体にもなるんだ。そして、吉澤さんは企画展「ラッキーワイド× のら猫クロッチ展」(六本木のストライプハウスギャラリー)の開催を決断した。」

 


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のら猫クロッチと目があって5 ★ 高野之夫さん
2016年9月29日

【のら猫クロッチと目があって5 ★ 同行二人】

第五回 高野之夫さん 

豊島区長
豊島区も「野良さん」だ。苦しい時こそ、夢や希望をもつ。
国際アート・カルチャー都市。「文化」を中心にして世界に通用する街にする。

ねぐらにほど近い豊島区池袋。これまでにオイラは、豊島区制施行80周年「みんなでつくるセーフコミュニティとしま」や、地域猫のイベントに、ちょいちょい参加させてもらってきた。都心のど真ん中なのに、野良猫にもどこか居心地がいいこの街は、近年、大きな変貌を遂げている。豊島区長の高野之夫さんとはこれまでにも何度か顔をあわせたけれど、ゆっくりお話をするのは今日がはじめて!

 

 

地元から一歩もでたことがない、生粋の池袋っ子!
「鬼子母神堂境内には猫がいっぱいいるねえ、みんながかわいがってくれるから」。と地域猫の話をはじめた高野区長さん。生まれも育ちも池袋。地元の大学で学び、地元で長年、古書店を営んだ。
「でも、なぜ、区長になろうと思ったの?」
「池袋は戦後のヤミ市のエネルギーで大繁華街に発展したけれど、怖い、暗い、といったイメージもひきずって、時代に取り残された雰囲気になっていた」。
「ぼくはね、この街をいいイメージにして、自慢できる街にしたかったんだ」。
街を愛する高野さん、商店街の人たちや仲間たちに背中を押され、区議会議員、続いて都議会議員に。そして思った。豊島区を一番いい街にするには、「区長になるしかない!」と。

区民の負担ゼロで完成させた新庁舎!
夢とロマンを持って区長になった高野さんを待ち受けていたのは、借金地獄だった。区長としての最初の仕事は財政再建。区民に還元したいお金が借金の利子返済に消えていく。そんな悪循環から抜け出すためには、区民サービスも削らなければならなかったし、23区共通の職員の給料を削減した際には他の22区の労働組合から非難の嵐だったそう。
区長になって早17年、時間をかけて積み重ねてきたものが、今ようやく実を結んできたという。昨年5月には、借金ゼロ、区民の負担無しで新庁舎を完成させた。「苦しい状況を経てきたからこそ、庁舎の上にマンションを乗せるなんて発想がでてきたんだよ」。付加価値を生み出す開発には、なんと権利者全員が賛成してくれた。「あの時は本当にうれしかったなあ……」と区長さん。お金がないからみんなで知恵をだし、みんなが満足できる価値を生み出せた。

 

 

「知恵が出なけりゃ 汗をかけ! 汗もかけなきゃ 消えていけ!」
「と、こんな言葉があるんだよ」。とニコニコする区長さん。
「借金ゼロで新庁舎を建てるために、旧庁舎と公会堂を定期借地権で企業に開発してもらい、76年分の借地代を前払いでもらって、新庁舎に必要な床を買う」…そんな資金計画を進めていた矢先にリーマンショックが……。地価は下がり、資金調達できないのではと議会で叩かれた。どう責任をとるのか?「区長を辞めるしかない」。と覚悟もした高野さん、だったが……。 結果は? 景気が好転し、一番いい時に契約ができて、なんと予定を上回る地代が得られた。ギリギリの状況の中で鍛え抜かれた野良の勘できりぬけた!
「追いつめられたら人は強くなる」

「野良さん」目線のまちづくり
「野良さんは、いじめられたりするかもしれないが、だからこそ弱い立場の人たちの気持ちがわかるよね」。と区長さん。
「野良さん」って、なんてやさしい響きだろう。
「野良さんも、何不自由なければ気持ちも目線も高くなってしまう」
「街を歩いて現場を知ること、自分の置かれた環境の中で幸せを作っていけること、みんなを受け入れてお互いに助け合っていくこと、大切だよね」
新しい政策を決める時には「区民はどう考えるか、どうとらえるか」と区長さんも区役所の人たちも、野良さん目線で考えるという。相手の立場や気持ちにたったまちづくりをしているんだね。

「文化」を中心として世界に通用する街を作りたい

「苦しい時こそ、常になにかの目標や夢を持っていることが大切なんだ」。
財政再建のために、あれもダメこれもダメと削っていったら、区民も職員も元気をなくしていった。その時、「すべてマイナスではなく、先の楽しみを、夢や希望をもたなければいけない」と区長さんは痛感した。みんなを元気づけるには「文化」しかないと思った。しかし当時は、「こんなに厳しい財政状況の中、なぜ、区長は『文化』『文化』というのか、文化でメシは食えない」。そんな批判があいついだ。でも、終始一貫「文化」という点ではぶれなかった。最悪の状況でも、夢みて、人間らしく、楽しく生きていく。すぐには結論がでないけれど、そういうものを求めていけば、街も変わるし、実際、区民の考え方も変わってきたと感じている。
「野良さんもまずは目の前の食べ物に気持ちがいくだろうけど、生きるためには夢も希望も必要だろう?」
「うん、オイラにも夢がある。世のため、人のため、野良のために何かしたいんだ。」

自分を動物に例えるなら
「区長さんは自分がどんな動物だと思いますか?」と尋ねたら
「ぼくは後ろを見ずに走りながら考える。そこにクリエイティブなものが生まれてくるんだ。でも、絶えず変わるからついてくる人は大変だよ」。
「オオカミ?」「いや、そんなに怖くはない。いつも先頭を走っている群れのリーダー、うん、バッファローかな」。

 


 

高野之夫(たかの ゆきお)
豊島区生まれ。平成11年に豊島区長に就任後、現在で5期目を迎える。
区議会議員、都議会議員を経て現職。「夢を持とう!それが未来を切り拓く」を信条にピンチをチャンスに変えていく。

 

 


 


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のら猫クロッチと目があって4 ★ 高田絵美さん
2016年8月18日

【のら猫クロッチと目があって ★ 同行二人】

第四回  高田絵美さん 

公益財団法人オイスカ/子供の森計画 担当課長

「子どもたちは国境の中に住んでいるけれど、これからの社会問題、環境問題は国境を越えていかねばならないのです」

「国を越えて協力しあいながら地球環境を良くしていこう」と世界中で活動を展開しているオイスカ・インターナショナル(以降「オイスカ」と省略)は、今年で創立55年目、日本では最も古い国際協力NGOのひとつだ。「子供の森」計画は、子どもたちをターゲットとしたオイスカのプロジェクトである。「『人と自然環境』『人と自然のつながり』を学びながら、『木を植える』行為を通して地域や地球に貢献していく」。こんな子どもたちのアクションを応援して、はや四半世紀、今日、世界36か国で展開している。この国際的プロジェクトを統括しているのが高田絵美さんだ。

 


オイスカのマークを首につけたクロッチと高田さん

 

木を植えて地球の命にふれあう機会を子どもたちに
「生活が大変な国や社会的な問題がある地域で、ひとりでも多くの子どもたちが、木を植えて、生き物や動物、地球の命にふれあう機会をもってほしいです」。
こう語る高田絵美さん。海外の子どもたちと接することが多い。「子供の森」計画の活動に参加する子どもたちは、植林をしたり、ゴミ拾いなどの地域の清掃にみずから進んで取り組み、積極的に意見を述べるという。
キラキラした瞳で活動する姿を見るにつけ、この子どもたちの成長に関わらせてもらっていると実感する。それがとてもうれしい。やりがいを感じる。そして、現地の父兄や先生たちから「緑が増えて村自体が豊かになってきた」と喜ぶ声を聞いた時の感慨はひとしおだ。
しかし、その一方で苦労することもある。海外では日本人的な常識や感覚が通用しないことがあり、予定どおりにものごとが進まないことも多い。そのたびに、現地の人たちと、プロジェクトを支える日本の企業や個人支援者との間にはいって調整しなければならない。そんな時にも、高田さんは、それぞれの文化を尊重したいと考える。「支援する側」と「支援される側」の双方が対等の立場でありたい。そのために、こちらの要望を押し付けるのではなく「いっしょに地球環境のためにできることをやっていく」姿勢を大切にしているそうだ。日本人側にも現地の状況を理解してもらえるように「相互理解」のためのアクションが常に欠かせないという。

海外に支局があり、大勢の現地スタッフがいる「子供の森」計画プロジェクトは、現地の人たちが同じ気持ちと志をもってくれて、現地のリーダーが育たないとできない仕事だという。活動に参加していた子どもが成長し、今は先生として指導にあたるケースも少なくない。
「世界的に環境問題が改善されて、動物たちの命、他者の命を大切にできるような子どもたちが育ってくれるといいなと思うんです」。高田さんはじめスタッフの人たち、「子供の森」計画に携わるすべての人々の願いだ。

 


活動に参加している各国の子供たちが描いてくれた絵

 

昆虫少女は今、農業と地球保全、環境教育に取り組む。
子どものころから土仕事が大好きで、お祖父さんの趣味の畑を進んで手伝う野良少女だった。卵から大切に育てていたカブトムシはいつのまにか100匹に増えていた。夏の夕方、蝉のさなぎを捜してきては、家のカーテンにとまらせて羽化する様子を観察する昆虫少女でもあった。そんな高田さんにとっては天職といえそうなこの仕事だが、以前は国の行政機関で働いていた。前職では当然のことながら「日本の政策」について考えることが多かった。終日、高層ビルで働き、日本のことだけ、自分の暮らしだけに目線がいきがちだったという。そのうちに心の中で「よりグローバルな視点で海外の人たちと共に仕事をしたい」「NGOで活動をしたい」という思いが募っていった。
当時、最も関心があったのが、「食」と「農業」の問題。「食はすなわち農業」だ。そして「農業」と「地球環境の保全」、このふたつの問題に取り組んでいたのがオイスカだった。しかも、環境教育を学んでいたこともあり「地球環境問題をわかりやすく伝えていきたい」と考えていた高田さんにとって、「子供の森」計画は運命的な出会いだった。
最初インターンとして入団してから7年がたった今日、海外のスタッフたちが正直に気持ちを話してくれるようになり、こちらも無理を言えるような仲になってきたという。

 


活動25年目を迎えた「子供の森」計画

 

自分を動物に例えるなら
オイスカは世界各地で活動を展開する大組織だが、プロジェクトベースで動くためいろいろなことにチャレンジできる。海外出張も多い中、どんどんアイディアが浮かんでくるが体はひとつ。これが悩みだ。「手を広げすぎておこられます」と苦笑する高田さん。自分を動物に例えると?「こまめに動くからリスです」と即答してくれたが、スタッフからは「マグロ」と言われた。常に動いていないと死んでしまうから。確かに!

世界の空はひとつ
「クロッチはのら猫でボーダーレス。動物の視点で社会問題を考えようとしている。だから、オイスカの活動現場にたくさん行って欲しい。そして、国境も偏見もないクロッチの目線で、国境を越え、人と人や、人と動物をつなげる役目をしてほしい」
「世界の空はひとつ」。最後に素敵なメッセージ。オイスカの創業者の言葉だ。「ひとつの空のもとでオイスカの現場を走りまわり多くの人や動物を惹きつけ、一緒に未来に向かって頑張っていけるようにつなげていってね、クロッチ!」ガッテンだいっ!

 


 

■高田絵美(たかだえみ)
愛知県生まれ。国家公務員を経て2009年にオイスカの国際協力ボランティア制度によりフィリピン各地で植林や環境教育のボランティア活動に従事後、東京本部勤務。
現在、海外事業部「子供の森」計画 担当課長
公益財団法人オイスカ http://www.oisca.org
オイスカ「子供の森」計画 http://www.kodomono-mori.info

 


「子供の森」計画とクロッチのコラボポストカードが完成!
2016年8月17日

オイスカの「子供の森」計画プロジェクトの活動は今年で25年目を迎えました。

http://www.oisca.org/project/cfp/

このたび、「子供の森」計画が支援している国の中から、ミャンマー、フィリピン、フィジー、そして、苗を植えるクロッチの4種類のポストカードが完成しました。

ポストカードの売りあげは「子供の森」計画の活動のために役立てられます。 定価は5枚セットで500円(税込、送料別)となります。(5枚目のポストカードは開けてびっくりお楽しみクロッチのイラストです)

購入を希望される方は、 cfp@oisca.org  宛にお申し込みください。

★お名前 ご住所(ポストカードの送付先) ご連絡先(E-mail)をお知らせください。

 

 

 


★苗木を植えるクロッチ

 

 


★フィジー

 

 


★フィリピン

 

 


★ミャンマー

のら猫クロッチと目があって3 ★ 大西和子さん
2016年7月6日

【のら猫クロッチと目があって ★ 同行二人】

第三回  大西和子さん 

株式会社PJC 代表取締役/デザイナー


「クロッチは野良だから櫛が通るような毛並みではだめ」だから、さまざまな方向に刺繍糸があばれる「乱れ刺し」
エンプロイダリーレースの老舗メゾン、PJC KAZUKO ONISHIのオーナーデザイナー大西和子(おおにしかずこ)さんと出会ったのは今から7年前。ねぐらからはほんのひとっ走り、オイラが迷い込んだ「都会の草っ原」はPJCのアトリエだった。それからというもの、大西さんは野良猫クロッチをPJCのオリジナルエンブレースの草むらで遊ばせてくれている。

※エンブロイダリーレース(以下、エンブレースと省略)とは、エンブロイダリーレースの機械で施した刺繍レースのこと。

「野良猫だからクロッチに興味を持ったの」。36年にわたりオリジナルのエンブレースを創ってきた大西さん、実はその生きざまこそ「野良」そのものだ。


 自分のレースは「ファッションではない」とずっと思っていた。青春時代、「ドロップアウト」「アングラ」「前衛」の真っただ中を駆けぬけてきた大西さん、表現の道具がたまたまレースだっただけで、実は「紙」でも「額」でもよかったという。
 レースでいったい何を表現できるのか? 
 遠い原風景を、手にはいらないものを追いかけて、永遠のあこがれを描いてきた大西さん。こうして描きだされた世界が、PJCのオリジナルエンブレースの図柄となっていったのだ。
 学生のころから今日までずっと絵を描き続けている。どこか満たされない気持ちの穴埋めだという。描くのはいつも自分自身、絵は日記でもあるという。その絵はこんなひと言とともにPJCの新作案内状としてお客様のもとに届けられてきた。
「一億光年の色」「星屑ばかり」
「夢ハ見マセン、緑の子」
「ホントハツタエタイ」
「と、もう一度。」

 PJCのエンブレースは一度見たら忘れられなくなる。ひとめ惚れをし、魅力の虜になった人たちが、全国各地から飛行機や新幹線を乗りついでやってくる。 繊細な絵柄、色の魔術、微妙な濃淡、独特の美しさだ。
 大西さんはまず素材にこだわる、糸からこだわる。京都の友禅の職人さんが6回も天日干しを繰り返した墨染めの糸、これがオイラの刺繍に使われている。「クロッチは野良だから櫛が通るような毛並みではだめ」。と大西さんは、さまざまな方向に刺繍糸があばれる「乱れ刺し」でオイラの毛並みを表現してくれた。と、こんな具合に、すべての作品に大西さんの特別な思いと職人の高度な技が込められている。膨大な時間と手間をかけて創りあげられてきたエンブレース。

 大西さんの運命を変えたのは、バッタ屋に山積みされた糊抜きされていない生成りのデッドストックレースとの出会いだ。当時は生成りのレースの商品などどこにもなかった。糊抜き工場を知らなかったので、服にするため。それから毎日のように、自宅の風呂場で、足で踏んで糊抜きを繰り返した。糊で足は真っ黒になった。糊ぬきをした生成りレースを干す。洗われてこざっぱりとしたエンブレースの素肌の感触は、人の内にある自然身体感覚を呼び出す。そんな懐かしさにも似たあたたかな感覚だ。こうして大西さんは8年間、生成りのレースの服だけを作りつづけた。やがて、そのデットストックレースがなくなった時、「布の宝石箱」と評される大西さんのオルジナルレース作りははじまった。

それからというもの、いつも「八方ふさがり」、いつも「絶体絶命」、いつも「挑戦」だった。
だから、いつも「なんで?」と問い続けてきた。でもどんな時にもあきらめずに工夫した。
そして、いつも「偶然」に導かれてきた。そして今日まで、華やかだけれど自然の素朴さを感じさせ、どこかあたたかみのある「特別な日常着」を作り続けている。
「PJCのエンブロイダリーレースを手にしてくれた人が幸せになってほしい」。
「それを着ている時に幸せになってほしい」。
今日も大西さんは、お客様の笑顔を思い浮かべ、仕事をしている。

オイラには「世界のクロッチになってね。のら猫の応援団長になって!」と大きなエールをもらった。
最後に「自分を動物に例えると?」と尋ねてみた。
しばらく悩んだ後に「犬かなあ……」。

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■大西和子(おおにしかずこ)
オリジナルエンブロイダリーレースの老舗メゾン、PJC KAZUKO ONISHIのオーナーデザイナー。
高度な刺繍技術と独自の「手干し仕上げ」を用いた比類無き作品の数々を世に送り続けている。





PJC x のら猫クロッチ 日本橋三越本店
 
2016年6月1日〜7日
















のら猫クロッチと目が合って2 ★ 辰巳渚&鈴木万由香さん
2016年5月25日

【のら猫クロッチと目があって ★ 同行二人】

第二回  辰巳渚さん × 鈴木万由香さん 

NOLA(「日本のふつうの暮らし協会」創立メンバー)


辰巳渚さん 日々の営みにこそ、伝えたい「日本の良さ」がある。
鈴木万由香さん 着物を日常に着ることで「伝えられること」がある。  

 辰巳渚さん(写真左)と鈴木万由香(写真右)さん、浅草の町おこしイベントでご縁ができた。姐さんたちの「江戸っ子の心意気」にすっかり惚れ込んじまったオイラ、文筆家の渚さんとクロッチ川柳がコラボした「辻占」を作り始めている。ナレーターの万由香さんとは「クロッチ物語」の朗読劇シリーズを作成中だ。


 そして今、渚さんと万由香さんが中心となって「NOLA」の活動がはじまった。NOLA(ノラ)とは「日本のふつうの暮らし協会」(Nippon Ordinary Life Association)のこと。 ここは「ノラ」つながりのよしみでオイラも一肌脱ぎたいところ。さっそく姐さんたちに「NOLAでどんなことをするのか」を聞いてみた。



渚さん 「日々の営みにこそ、伝えたい「日本の良さ」がある。」


「日本のふつうの暮らしって、いいものがたくさんあるよね!ということを、自分たちも確認したいし、人にも伝えていって仲間をふやしていきたい」と、NOLA設立の主旨を語る渚さん、「家のコトは生きるコト」を合い言葉に、長年、「家事塾」を主宰してきた。家事塾とは、日々の暮らしをみんなで考えたり教えあったりする場だ。「なにか毎日がうまくいってない」と感じている人たちが多いという。それでは、「今日もこれでよかったなあ」と思えるにはどうしたらいいのか?


「『日本の良さ』を考える時、歌舞伎、お能、茶道、華道、京都、つまり伝統文化や古都といったメインストリームがある。その一方で、華やかなものの陰に隠れていて、だれも気にとめないようなあたりまえの日常の営みがある。実はそういう日常の中にこそ、自分のささえになり、人に伝えていく価値のあるものがある」と渚さんは考えていた。


渚さんとクロッチ

万由香さん 「着物を日常に着ることで「伝えられること」がある。」

 幼いころから、植物で作る化粧水や漢方薬がいつも身近にあったという万由香さん。「植物の力」に救われてきた自らの体験と試行錯誤を重ねて得た薬草の知識をもとに、自ら主催している「うずまき堂」で手作り石鹸教室を開いている。

食べるもの、着るもの、暮らし方、そしてアート、もともと日本的なものが好きだったが、次第に、「日常」つまり「ふつうの暮らし」が大切だと思うようになった。「たとえば、着物を晴れ着としてではなく、日常に着ることもひとつの表現であり社会活動になるのでは? 少し大げさかもしれませんけど」。と微笑む万由香さん。

 「人は慣れ親しんだものに共感を覚えるわけで、母や祖母、街でゆきかう人の着物姿を見た子どもはいつか自分も着物を着てみようと思うかもしれません」 とはいうものの、「なにがしの行事に着物で参加しました。などと事細かに発信していくのではなく、もっと『日本の良さ』の根っこの部分を伝えていきたい」と思っていたが、「では、なにをどうしたらいいのだろう?」と、もどかしい思いを抱えていた時に出会ったのが渚さんだった。同じ問題意識を抱えていた二人はすぐに意気投合。間もなく「NOLA」を設立し、活動をはじめた。

渚さん 「懐古趣味ではなく、暮らしの根底にあるものを伝えていきたい!」


高度成長期に生まれ地元を離れ大都市の郊外で成長した渚さんは、「自分の中にストックがない第一世代だ」と思っている。自分もそうだったように、まわりからは「どう生きていいかわからない」。「何が幸せかわからなくて苦しい」。という声が聞こえてくる。だからこそ、「自分を楽にしてくれるもの、」を伝えていきたいという。それは、あいさつ、であったり、洗濯、掃除、料理であったり、お正月やお盆のような行事であったり。そう、それは「家のコト」、つまり「暮らしの根底」にあるものだ。「それは日々、親子や地域の人々のあいだで、共にやっていくことなんですよね」。と渚さん。

猫の手でよけりゃあ、いつでも貸すよ!


万由香さん 「自分が挨拶をしよう! 自分が着物を着よう! まずは自分が実践!」

明治生まれの祖母に、幼いころから着物のたたみ方や茶道の手ほどきをうける一方で、インターナショナルスクールに通っていた万由香さん、葛藤と反抗の青春時代を経て、ある時ふと気がついた。「日本人だから『和』ではない。ハーモニーが『和』なのだ」と。すると、それまでイヤだと思っていた、「脈々と受け継がれているもの」をすんなり受け入れられたという。「これからは、自ら行動し発信していこう!」と万由香さん、オイラは何を発信しようかな。


万由香さんとクロッチ


最後に

「自分を動物に例えると?」と尋ねると、考えあぐねた末に、「フラミンゴ」と答えた渚さん。高校時代、フラミンゴ役を演じた経験からというが、たしかに……

万由香さん曰く「わたしは犬、雑種のね」。理由は「猫ほどカッコ良く孤独に生きられない。自由にあこがれながら同じ道を歩いているから」だって……


渚さんと万由香さん、さあ、花の浅草からどんなことを発信していくのか、乞うご期待!



プロフィール】

NOLANippon Ordinary Life Association

「日本のふつうの暮らし協会」

 日本のふつうの暮らしには持続可能な社会と暮らしの基盤となる普遍的な価値があるという理念のもと、日本のふつうの暮らしが絶滅危惧種であるという現状認識を広め、その価値を保全し次の世代に継承していく「価値の番人」として機能する事業を進めることを目的とする。


■辰巳 渚(たつみなぎさ)

文筆家。生活哲学家。「家のコトは生きるコト」をメッセージにして家事塾を主催。講座、セミナー、コンサルティングを行なっている。著書は多数。2015年にNOLAを設立。http://kajijuku.com


鈴木 万由香(すずきまゆこ)

ナレーター、ラジオのパーソナリティ。「自然の力をせっけんに」「和みを創りたい」をテーマに「うずまき堂」を主催、手作りの石鹸教室を開催している。NOLAの設立メンバー。http://www.uzumakido.jp


のら猫クロッチと目があったその日から【長嶺ヤス子さん】
2016年4月20日

のら猫クロッチは、日本人フラメンコダンサーの草分け長嶺ヤス子さんと出会ってしまいました。『立っているだけでフラメンコ』とスペイン人に言わしめる女傑です。
「馬鹿正直さを極めたようなその生き方」は、多くの人に勇気と生きる力を与えつづけています。御年80歳。背筋がピーンと伸びた現役の舞踏家です。
舞台の上、さらにはプライベートの姉御の魅力をお伝えしてまいります。
猪苗代の長嶺さん宅の玄関で挨拶しました。
「私の舞台を見た人は、翌日からスポーツを始める方が多いそうよ。でも続かないの」
これから、犬と散歩です。
「ねえクロッチ、私は私が一番大切なの。
人は私に指導者になればいいというんだけれど、私は私のために時間をつかいたいのね。
だから踊り続けられるの。これは私の生き方だからしょうがないの」


たくさんのお話をうかがいました。
約2時間の散歩を終えて、すっかり日は暮れました。



「チケットを買ってもらうことが、わたしを応援してくれることなの。
クロッチもわたしのチケットを売ってくれる?」

たった1日の公演のために、本場スペインを代表する凄いダンサーが『YASUKOのためなら』と来日します。
そして、1000枚近いチケットの大半は、長嶺ヤス子さんご自身の手でファンに届けられていくのです。


「私の舞台って最高でしょ。すっごくお金がかかるの。いつも大赤字よ」

客席はいつも満席。
でも、それ以上に予算をかけてしまうために毎回、数百万円の大赤字になってしまうそうです。

長嶺ヤス子さんは「絵」を描いて、販売して、その穴を埋めています。

(つづく)


のら猫クロッチと目があって1 ★ 吉澤広寿さん
2016年4月5日

【のら猫クロッチと目があって ★ 同行二人】

第一回  吉澤広寿さん 

株式会社ラッキーワイド 代表取締役/彫刻家


クロッチ 「おいら、3次元になっちゃった!」
吉澤社長 「クロッチ、いっしょに歴史を創ろうな!」
 世界的造形作家集団ラッキーワイドを率いる吉澤さんと、オイラ、クロッチとの出会いは東日本大震災が起きた2011年にさかのぼる。それまでは紙面の中でうごめいていたイラストのオイラが、雑誌「孫の力」の連載企画を機に、吉澤さんのところで、リアルな体を創っていただき、新たな命を吹き込まれて3次元の世界に飛び出した。これまでに、ラッキーワイドで作成していただいたオイラのフィギュア(立体)は、すでに5体にもなるんだ。
 そして、吉澤さんは今年11月、企画展「ラッキーワイド× のら猫クロッチ展」(六本木のストライプハウスギャラリー)の開催を決断した。

■十数人の造形作家による大プロジェクト
  
 「『わたしの一生の宝物ができた!』、展覧会を見にきた人たちが、こう言ってくれる作品を作る義務が、わたしたちにはあるんです!」
 「その『一生の宝物』を、まわりの人たち、これからつながっていく全ての人たちに渡し続けていきたいのです」と語る吉澤さん。今回の企画展は、ラッキーワイドの十数人もの造形作家たちが、オイラの作品造りにかかわるという大プロジェクトだ。そんな中、今、オイラの存在が作家たちそれぞれの中で、一人歩きをはじめているらしい。
「これはね、クロッチの作品を造るひとりひとりの社員の中で、クロッチの歴史を創っているということなんです。この先どのように展開していくかはわからない。でも、だからこそ思いもかけないような夢ができてくる。それが最高なんです。」と吉澤さんは力をこめる。「本当の意味で歩き始めたいから」。吉澤さんは「ラッキーワイド × のら猫クロッチ展」を開催するという。
 
■人に夢を与える仕事への誇り
 「『人に夢を与える仕事をしている』という誇りを、スタッフみんなが持っている。だからこそ、わたしたちの作品は見た人に共感してもらえるのだと思う」。そう語る吉澤さんは、常日ごろから「善権」ということを、とりわけ大切にしている。
 「心の奥底に仏の心を持ち、人に感謝する気持ちを持つこと」に努めているのだ。困難や想定外の事態に遭遇しても、「ありがとうございます」と唱えれば、瞬時に心は落ちつき、迷いはなくなるという。
 
■生死の境をさまよった体験への感謝
 
 これまでの人生、吉澤さんは数えきれないくらい「のら体験」をし、修羅場をくぐり抜けてきた。トラブルや事故への対応、経営、資金繰りに加えての実務の実行、そんな激務が何年も続いて、ある時、クモ膜下出血に倒れてしまった。しかし、生死の境をさまよったその体験に、今はとても感謝しているという。この体験を通して、今は「静的な緊張感」を持って生きることができるようになったからだ。今、トラブルや思わぬアクシデントを防ぐ、気配りや気持ちの張りを持つことの大切さを、実感しているのだ。
 これまで、生きていて最高だったことは、「鍛錬をし続けてこれたこと」だという。今も毎日、鍛錬をし続ける生活を送ることができているから、吉澤さんは現在進行形で日々、最高なことに出会っている。一年間365日、おちこんだり、めげたりして、終わる日は1日もない。駅伝のたすきのように、必ずベストを尽くして次の日につなげるのである。
■世界の道標を創造し、歴史を創っている
 さて、幼い頃から猫、犬、ウサギ、鶏などのたくさんの動物たちに囲まれて育った吉澤さん、かわいがっていた猫が亡くなった時、中学3年生から高校1年生にかけて、その猫の木彫を作りあげた。吉澤さんと彫刻との出会いだ。そして、オイラ、のら猫クロッチ。猫にはとことん縁があるらしい。自らも彫刻家である吉澤さんは「わたしの最大の武器は『ものごと』を創造している会社の事業主であることだ」と語る。
 「わたしたちは今まさに世界の道標を創造し、歴史を創っている」。吉澤さんの仕事への姿勢と人生観は、ラッキーワイドの若いスタッフたちにも確実に受け継がれているようだ。
 「わたしたちの仕事を通して、立場も状況も違う全ての人たちが、夢を持てるようになってほしい」
 こんなすばらしいビジョンを持つ吉澤さんとラッキーワイドの作家のみなさんに、この世に生み出してもらえるオイラは本当に幸せ者だ。ひとりでも多くの人たちに作品を見にきてほしいなと思う。
 
■自分を動物に例えるなら
 ところで、若いころはやたらと元気が良かったいう吉澤さん! 相撲、空手を極め、「クレイジーブルドッグ」というリングネームでプロレス同好会で活動をしていたというから驚いた。
 最後に「自分を動物にたとえるなら?」 と尋ねたら、意外にも「羊」。との答えが返ってきた。 だけど、その後、「あえていうと」と続けた吉澤さんは、「凶暴な羊です」。と微笑んだんだ。


KROCCHI No.1 作品名「家もなく 身寄りもないが 明日がある」

(編集:KIMIKO TSUTSUI)

■吉澤広寿(よしざわひろひさ)
 日本とフランスの代表的彫刻家に師事をし、その後、株式会社ラッキーワイドを設立。完成度と芸術性の高い仕事で、世界中から依頼が殺到している。